The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。- 34- 【Revolution 9】
【 Revolution 9 】 -7-
リンダ・イーストマンはどういう人なのか。
○
【年表】
1942年9月24日
リンダ生まれる
父はリー・イーストマン
1950年代
セーラ・ロレンス・スクールで学ぶ
オノ・ヨーコも通っていた。
1962年
結婚
1963年12月31日
第1子、ヘザーを産む
離婚
1964年
フィルモア・イーストの専属写真家
ビーチ・ボーイズを撮る
1967年5月15日
チャーズ・チャンドラーの紹介で
ポールに会う
1967年5月19日
「Sgt. Pepper's」の発売記念パーティに参加
1968年5月11日
ポールが仕事でアメリカに行く。
リンダが電話番号を書いた紙をポールに渡す。
1968年6月20日~6月25日
ポール、米、ロサンゼルスへ。
リンダ・イーストマンに連絡を取り、一緒に過ごす。
1968年11月
ポールがリンダにロンドンで暮らさないかと提案
ロンドンで暮らす。
1969年3月12日
ポールとリンダ結婚
1969年8月22日
ビートルズ最後のフォト・セッション
リンダも映る
1969年8月29日
第2子、メアリーを産む
(ビートルズ百科全書 P.490)
:
オノ・ヨーコと共通するところがあるだろうか。
二人ともニューヨーク育ち
同じ学校で学んでいる。
裕福な上流階級の娘
結婚したことがあり子供が1人いる。
1967年5月15日にアニマルズのメンバーだったチャーズ・チャンドラーの
紹介でポールとリンダは初めて会話している。
そしておそらく1967年5月19日のパーティでも話している。
その1年後の1968年5月11日にジョンとポールがニューヨークに来た。
ニュースで大々的に喧伝したので誰でも知っていた。
写真家と言う立場から会場には入れただろう。
そしてポールに電話番号をそっと渡した。
これは積極的なのだろうか。
ずっとビートルズのファンであって
フィルモア・イーストの専属写真家であり
バンドの写真をプロとして撮影している。
チャーズ・チャンドラーに紹介してもらうような立場がある。
本来なら1年前の1967年5月15日に電話番号を渡すべきだろう。
5月15日の夜にポールはロンドンへ帰る。
帰ってから6月20日までポールはアメリカへは行っていない。
1968年6月20日~6月25日にポールがアメリカへ行く。
ここで二人は急激に接近する。
唐突ともいえるくらい急な展開。
この間の1ヶ月に何があったのだろう。
電話で話していたのだろうか。
○
リンダ
まず興味を持ったのはジョン。
私にはビートルズの英雄だった。
でも実際に会ってみると好きなのはポールだってことがわかった。
(ビートルズ百科全書 P.491)
:
リンダはもともとジョンのファンだった。
英雄と言っているのでおそらく熱狂的なファンだったのだろう。
「実際に会ってみると」というのは、1967年5月15日の
チャーズ・チャンドラーの紹介でポールに会ったことをいうのだろう。
それから1年間、「好きなのはポール」を心に抱いたまま過ごした。