Beatlemania's Blog ~ビートルズ研究~

ビートルズ・ファンがビートルズについて調べたことを書くブログ

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-303- 【Dear Prudence】

The Complete Beatles Recording Sessions



【 Dear Prudence 】 -5-

 


いつドラムの演奏はリンゴではなくポールだと判明したのか

 


【資料】

ポールのドラムは彼のベスト・パフォーマンスとなった。

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.206)

 


ポールのドラムは素晴らしかった。
でもドラムがポールだと判明したのはずっと後のことだ。

 


【資料】

最後のヴァースでジョンがDear Prudenceと歌うところで入る
リンゴの連打はいままで、おさえにおさえたエネルギーを
一気にここではきだしている

ビートルズ全曲解説(ティム・ライリー著) P.296)

 


この資料ではドラムはリンゴとしている。
後半の激しいドラミングを誉めている。

この資料は1988年に出版されている。
1988年にはドラムはリンゴだと考えられていた。

1988年にはドラムがポールとする資料はなかったし、ポールはじめ
メンバーもポールがドラムを叩いたという発言を誰にもしなかった。

 


【資料】

これまでは8ビートと16ビートを刻むハイハット
使い方がリンゴには珍しい演奏だといわれていた

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.30)

 


ドラムがリンゴだと考えられていた時にはドラムの演奏が
リンゴの典型的な演奏とは異なっているといわれていた。

この資料は1989年の発行である。
この資料ではドラムはポールだと判明していた。

この資料はドラムがポールだと明記した最初期のものだろう。
1988年から1989年にドラムがポールだとする事実が判明したことになる。

「The Complete Beatles Recording Sessions」
が日本版は1990年、原本は1988年に発行されている。

この本によりドラムはリンゴではなくポールと判明した。
この本がドラムはポールであると明記した最初の本だろう。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-302- 【Dear Prudence】

Trident Studios



【 Dear Prudence 】 -4-

 


ポールのドラムは重ねられているのか

 


【資料】

Hey Judeで気をよくして、ビートルズはトライデント・スタジオを
再び使用した。
ジョンとジョージの3フィンガー・ギターとポールのドラムスで
第1テイクを録音した。
ポールのドラムは彼のベスト・パフォーマンスとなった。

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.206)


トライデント・スタジオで録音した。
8トラック・レコーディングだった。

ベーシック・リズム・トラックでポールがドラムを叩いた。
このドラムはオーバー・ダブはしていないのだろうか。

 


【資料】

今までの2倍のトラック数があるため、オーバー・ダビングでは
リダクションをしなくてよかった。
完成までに以下のオーバー・ダブをした。

2回のジョンのリード・ボーカル
タンバリンとパーカッション
ベース・ギター
エレクトリック・ギター
ピアノ
2回のバック・ボーカル

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.206)

 


オーバー・ダビングではリダクションをしていないとある。
様々な楽器と複数のボーカルがオーバー・ダブされている。

でもリダクションを一度もすることなく全てオーバー・ダブできた。
今までの倍のトラック数があったからだ。

ジョンのリード・ボーカルで2トラック
タンバリンとパーカッションで1トラック
ベースで1トラック
エレクトリック・ギターとピアノで1トラック
バック・ボーカルで2トラック

これでオーバー・ダブは7トラック
ベーシック・リズム・トラックをリダクションして1トラックにすれば

全部で8トラックで計算があう。
資料でそこまで細かく言及されてないので推定でしかない。

ただ、ベーシック・リズム・トラックをリダクションしなければ残りの
トラック数は5トラックになる。

上記のオーバー・ダブを5トラックで録音するのは不可能だ。だからおそらく
ベーシック・リズム・トラックはリダクションされているのであろう。

ベーシック・リズム・トラックがリダクションされているとなると
ポールのドラムをベーシック・リズム・トラックの時に重ねられる。

2日目以降のオーバー・ダブではドラムは演奏されていないので
重ねることができるのは第1日目の録音の時だけだ。

明記された資料がないので第1日目の録音時にポールのドラムが
重ねられているかどうかは厳密には不明だ。

 


【資料】

1968年8月28日
第1回録音

トライデント・スタジオで再度の8トラック・レコーディング
テイク数はたった一つ
数え切れないほどの録音がその1テイクになされた

ベーシック・トラックはジョージとジョンのギター、及びポールのドラムス

(The Complete Beatles Recording Sessions P.189)

 


ベーシック・リズム・トラックはテイク数は1回のみだ。
でも数え切れないほどの録音がその1テイクにされたとある。

この数え切れないほどの録音にポールのドラムも含まれているのではないか。
ポールはドラムを重ねることで修正したり修飾したりしたのではないか。

テイク数は1回だが時間はかかっている。初めての8トラック録音で
ポールのドラムも気に入るまで重ねて修正したとする方が自然である。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-301- 【Dear Prudence】

Trident Studios



【 Dear Prudence 】 -3-

 


なぜトライデント・スタジオを使用したのか

 


【年表】

1968年7月31日
Hey Jude 
トライデント・スタジオ

1968年8月28日
Dear Prudence 
トライデント・スタジオ

1968年9月3日
While My Guitar Gently Weeps
アビー・ロード・スタジオ

 


8トラックで録音した曲の年表
トライデント・スタジオには8トラック・レコーダーがあった。

だから最初のうちビートルズはトライデント・スタジオでセッションした。
アビー・ロード・スタジオの8トラックはまだ使用不可だったからだ。

一番最初に8トラックが使われたのはHey Judeだった。リハーサルを
アビー・ロード・スタジオで行った後にトライデント・スタジオに入った。

その次に8トラックが使われたのはDear Prudenceだった。
Dear Prudenceは最初からトライデント・スタジオで録音が開始された。

8トラックが使われた3曲目はWhile My Guitar Gently Weepsだった。
アビー・ロード・スタジオでの初めての8トラック・レコーディングだった。

 


【資料】

1968年8月28日
第1回録音

トライデント・スタジオで再度の8トラック・レコーディング
テイク数はたった一つ
数え切れないほどの録音がその1テイクになされた

ベーシック・トラックはジョージとジョンのギター、及びポールのドラムス

(The Complete Beatles Recording Sessions P.189)

 


Hey Judeに続いて2曲目の8トラック・レコーディング
録音したテイク数は1テイクのみだった。

テイクを変えることなく第1テイクに何度も録音をした。
初めて8トラックを最初から使用するので録音方法を探ったのだろう。

Hey Judeの録音ではベーシック・リズム・トラックに4テイク録音した。
この時のベスト・テイクは第1テイクだった。

8トラックでは全ての楽器に1トラックを割り当てられるので弾きなおせる。
集中して第1テイクを録音し気に入らなければ弾きなおしたのだろう。

4トラック録音ではベーシック・リズム・トラックを同時演奏で録音した
次々にテイクを重ねていって全てを録音した。

White Albumではジャム演奏も全て録音してきた。
それが8トラックで録音方法が変わった。

それまでは同時演奏を納得できるテイクが録れるまで何度も繰り返した。
8トラックとなったこの曲では1テイクを録り後で修正していった。

 


【資料】

トライデント・スタジオでセッションを再開したが、まだリンゴは
いないままだった。
8トラックを駆使してジョージとジョンのギターとポールのドラムで
ベーシック・トラックを1テイクで録音し、楽器をひとつずつ
重ねていった。

(The Complete Beatles Chronicle 1965-1970 P.360)

 


リンゴは失踪したまま帰ってこない。
ビートルズはリンゴ不在のまま録音を続ける。

ベーシック・リズム・トラックはジョージとジョンのギターと
ポールのドラムだった。

ベーシック・トラックは第1テイクで完了した。
第1テイクに楽器をひとつずつ重ねていった。

 


【資料】

Hey Judeで気をよくして、ビートルズはトライデント・スタジオを
再び使用した。
ジョンとジョージの3フィンガー・ギターとポールのドラムスで
第1テイクを録音した。

(That Magic Feeling,The Beatles' Recorded Legacy P.206)

 


Hey Judeで録音がスムーズにいったから再びトライデント・スタジオを使用。
確かにHey Judeはとても短時間で録音が終了している。

ベーシック・リズム・トラックのジョンとジョージのギターは
3フィンガー・ギターだった。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-300- 【Dear Prudence】

single,The Ballad Of John And Yoko



【 Dear Prudence 】 -2-

 


ポールはドラムの演奏を誰に聞かせたかったのか

 


【年表】

1968年8月22日
リンゴはグループを一時脱退してサルジニアで過ごす

1968年8月28日
Dear Prudence
第1回録音

1968年8月29日
Dear Prudence
第2回録音

1968年8月30日
Dear Prudence
第3回録音完成

1968年9月3日
リンゴがサルジニアから帰ってくる

 


リンゴは8月22日にビートルズを脱退してサルジニアで過ごしていた。
リンゴ不在の中8月28日にセッションは開始され8月30日に完了した。

リンゴは録音が完了した4日後にグループに復帰した。
リンゴ不在時の録音以外にこの曲のセッションは行われていない。

ドラムスはリンゴではない。
これは確実だ。

 


【資料】

ポールがドラムスを叩いているのだが、後半でのプレイは
とてもリンゴの代わりに叩いたとは思えないほど、ドラマーとしての
才能を見せている

(真実のビートルズサウンド P.369)

 


ポールがドラムを叩いている。
後半での激しいプレイは才能があると評価している。

 


【資料】

エンディング近くではところどころにタムを含めた
みごとなドラミングを聴かせてくれる。

The Beatles Sound Book Vol.3-2 Official Numbers P.30)

 


この資料でも後半のドラムはみごとだとしている。
ドラムス、特に後半の演奏は褒め称えられている。

ポールのドラムはみごとだった。
ポールはみごとなドラムをジョンに披露したかったのだろう。

なぜならポールはドラムを演奏していることをインタビューなどで
発言しなかったからだ。

多数の人にドラムもできることを知ってもらいたいなら
インタビュー、取材で発言するだろう。

ビートルズの評伝を書いている作者も近くで張り付いている。
この作者にもポールはドラムのことを話してはいない。

ではポールは誰にドラムを聞かせたかったのか。
ポールが演奏を聞かせたい相手は一人しかいない。ジョンだ。

「The Ballad Of John And Yoko」はポールがドラムを演奏している。
ポールとジョンが楽しく仲睦まじく2人で演奏している曲だ。

ジョンのバックでのポールの嬉々としたドラム捌きはこの曲から
The Ballad Of John And Yokoへと繋がっている。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-299- 【Dear Prudence】

 

【 Dear Prudence 】 -1-

 


今の感想

 


このセッションでの録音21曲目。
ジョンの曲

Prudenceは女性の名前
インドで一緒に瞑想していた。

そういう説明でしかこの曲へのコメントを読んだことがない。
曲そのもの以外の付属する情報がない。

1曲目のBack In The USSRのエンディングのジェット音の後から
立ち上るエレクトリック・ギターをつまびく音が全編に響く

後半になるにつれて激しくなるドラムス。
フォークからロックへと変わる。

White Albumは最初は弾き語りで作られたフォーク集だった。
その後に様々なアレンジが施された。

当然ロックとなるアレンジもあった。
そんなWhite Albumのコンセプトをこの曲は体現している。

この曲が2曲目に配置されることでWhite Albumの特徴である
フォークからロックへの流れが目の当たりになる。

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-298- 【Back In The USSR】

 

【 Back In The USSR 】 -11-

 


【まとめ】

 

White Album」セッションでの録音20曲目

 


Back In The USSR について

リンゴ脱退後にも録音は続けられた。
3人でドラムを叩いている。
3人はリンゴ不在の録音を楽しんでいる。
ジョンとポールはリンゴが参加しているかどうかを気にしていない。
ベーシック・トラック(テイク5)はアルバム収録ヴァージョンの
テンポで録音され、その後にテープ・スピードを落とされた
エレクトリック・ギターは誰が弾いたかは不明。
これがポールの弾いたリード・ギターである可能性はある。
ポールはボーカルを50年代ロックン・ロールのパロディをした

 


ビートルズの状態について

リンゴがビートルズを脱退した。
リンゴは自分はバンドに不要な存在だと感じ
リンゴはポールがドラムを叩くのに不満だった。
リンゴとジョージとマーティンの連続した失踪
ポールの左利きの特性がバンドに不協和音を立てている

The Beatles「White Album」いつビートルズは仲違いしたのか。なぜ解散したのか。-297- 【Back In The USSR】

ビートルズ



【 Back In The USSR 】 -10-

 


ポールはなぜリンゴの気持ちがわからないのか

 


【インタビュー】

ポール

リンゴがBack In The USSRのドラムをこなせなかったときは
かなりカチンときてね。それで自分でやったんだ。

他人がうまくできないことを
ちゃんとやってのけるってのは妙なものだ。

「何だよ、少なくとも助けにはなってるだろ」ってね。

で、そこにパラノイアが入り込んでくると、
「あいつに見せ付けてやる」ってなる

(ビートルソングス P.134)

 


ポールはリンゴがドラムを要求通りにこなせなかった時に
激怒したことを覚えている。

激怒したから自分で叩いたと、このインタビューで話している。
他人ができないことを自分がやってのけることについても語っている。

それは気に入らないかもしれないがあなたも助かったでしょう。
あなたにとっても利益はあるでしょう。

ポールはそういう時に精神的に少しおかしくなった時には
自分がうまく出来ていることを相手に「みせつけてやる」と語る。

相手を見下し傲慢な気分になることを打ち明けている。
ポールには相手とうまくやっていこうという気持ちが少ないことがわかる。

 


【インタビュー】

ポール

リンゴはデヴュー・シングル(Love Me Do)から外されてしまった。
その決定を受け入れるのはものすごく辛かった。
「リンゴがドラマーでなきゃ困る。僕らは彼を失いたくない」
って言ったんだ。
だけどジョージ(マーティン)は譲らなくて結局リンゴは
デビュー・シングルで叩けなくなった。彼がやったのはタンパリンだけだ。
リンゴはずっとあの痛手を乗り越えられなかったと思う

(書籍 The Beatles Anthology P.76)

 


このインタビューは1stシングル「Love Me Do」でリンゴがドラムを
叩いていないことについてのインタビューだ。

ポールはリンゴがドラムを外されたことをすごく辛かったと話す。
リンゴを失いたくないと訴えたと話す。

リンゴが1stシングルでドラムを外されたことは、リンゴがバンドを
脱退することもあるくらいの大きな出来事であったことがわかる。

そのことをポールは完全に理解している。1stシングルでドラムを
叩いていないことでリンゴが深く傷ついたことを知っている。

その後もずっとリンゴが傷ついたままだということを知っている。
リンゴはずっと乗り越えられていないと語る。

それなのに、なぜポールはリンゴのドラムを叩くのか。
ポールは理屈ではすべてわかっている。

人の気持ちがわからないわけではない。
全てわかっている。

ポールは人付き合いに重きをおいていない。
自分の願望を優先する。

 


【資料】

ポールがドラムを叩いた曲

1 Revolution 1
2 Don't Pass Me By
3 Revolution 9
4 Blackbird
5 Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
6 Good Night
7 Ob-La-Di,Ob-La-Da (★)
8 Revolution
9 Cry Baby Cry
10 Helter Skelter
11 Sexy Sadie
12  While My Guitar Gently Weeps
13 Hey Jude
14 Not Guilty
15 Mother Nature's Son ★
16 Yer Blues
17 What's The New Mary Jane
18 Rocky Raccoon ★
19 Wild Honey Pie ★
20 Back In The USSR ★
21 Dear Prudence ★

★:ポールがドラムを叩いた曲

 


ポールは次の録音曲であるDear Prudenceを含めて
4曲連続でドラムを叩いている。

Dear Prudenceでようやく気がついたのだろう。
リンゴを追い詰めていることに気づきドラムを叩くのをやめた。

リンゴが脱退を宣言したから気づいた
バンドからドラマーがいなくなってしまう。

「何だよ、少なくとも助けにはなってるだろ」とは思ったが
ドラマー不在という困ったことになると考えたのだろう。

 


【資料】

左利きの人は右脳が優位半球となっているので、右脳的な特性が
強くなる。
インスピレーション豊かな人や芸術肌の人が多い。
一方、理解力や論理的な能力、他者との疎通性には難点を生じやすい。
手先は器用だがコミュニケーションが苦手な傾向がみられ、
友達が少ないと指摘されている。
感情的で短気な傾向がある。

(真面目な人は長生きする P.95)

 


ポールは左利きだ。
ポールはとても外交的で社交性に優れているようにみえる。

でもポールの友達としてジョン以外に誰か思いつくだろうか。
ポールはマニュアルとして社交性を得ているだけではないだろうか。

他者との疎通性に難点、コミュニケーションが苦手、友達が少ない
感情的で短気、ポールはそういう人ではないだろうか。

ポールの左利きの特性がバンドに不協和音を立てているのではないだろうか。
少なくともこの時点でバンド内でリンゴとジョージはポールと対立している。